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2009年2月25日 (水)

181 撤退か?日本人ディベロッパー

Photo_7  Nifsan

今から20年近く前、サーファーズパラダイスの西域にカラーラゴルフクラブという小さくて平坦なゴルフ場があった。低い土地なので大雨が降ると、あちこちが水没、大きな池も出来てコースは閉鎖された。数種類の野鳥が飛来し、餌探しで鳥たちの楽園となっていた。そして水が完全に引くまで数週間そのような状態が続いた。

市当局ではこの土地はウォーターリザーブ(ダムのような)とし、大雨時の水の溜まり場と認定していた。だが大雨もそんなに多くないことから、芝を植え、普段はゴルフ場として使っていたのである。広い打ちっぱなしのドライバーレンジがあってバケツ一杯のボール代、それに1ラウンドのグリーン費も安く、予約もいらないことから何時も賑わっていた。私もレストランをやっていた頃、度々練習に通い、その後コースを回った。

日本ではバブルの最盛期、そのゴルフ場をニフコと言う日本の会社が買収した。低い土地は盛り土をし、ところどころ池を作り、土管を埋設、水はけを良くして、少々雨が降っても水没しないようにコースを改造、名称もエメラルドレイクゴルフコースと改名した。

当時、この会社は日本では中堅のプラスチックメーカーだったと聞いていた。このゴールドコーストで始めて宅地造成や不動産の事業を始めたらしい。名前をニフサンと変え、ゴルフ場近辺の土地を次々と買収し、そこを宅地に造成、家を建てて販売をした。

そのゴルフ場の道路を挟んだ東側に遊覧飛行場(タイガーモス機)の施設がある大きな土地が広がっていた。広さは当ゴルフ場の二倍はあるだろう。昔からその場所に大ショッピングセンターが出来るとかの噂もあって、再開発地として有望視されていた場所である。この土地のすべてをニフサンがいつの間にか手に入れ、大開発が始まっていた。

ゴルフ場と同じく、ここも低い土地なので大雨の時には浸水していた、その半ばに大きな湖を造って、その掘った土砂を積み上げ、宅地として造成、いわゆるウオーターフロントの土地を開発したのである。これなら盛り土をして通常の宅地をたくさん造成するより、売れる土地の数は少なくなるが、水際の土地は高く売れることから、確実に儲かると睨んだのである。

何台もの大型重機の投入でたちまち大きな湖とブロック状の宅地が造成された。川から水(この川は海水)を引き、満々と湛えたブルーの湖面、昔なじみの付近の景色、元ローカル飛行場の面影は全くなくなってしまった。湖も以前からその場所にあったように錯覚してしまうほど、見事な出来栄えとなったのである。

20年前のバブル期には、日本からは大手保険会社を始め、一流企業がやってきて、だぶついた日本金を持込み、この街で不動産を買いまくった。地上げ屋までやって来て活躍したのである。ライオンズマンションで有名な大京不動産もホテルを建てたり、ゴルフ場を造ったりと、この街にかなり投資をしてきたが、どの企業も儲けるつもりが、日本でバブルが弾けたことから、安く叩き売り損をして、日本へ撤退せざるを得なくなった。時の状況にもよるが、この街では大小にかかわらず、ビジネスをして儲けることは非常に難しい。

このニフサンは日本企業として数少ない成功したディベロッパーだったが、21日付けゴールドコーストブルティン紙によると、今後の開発をすべて断念したと伝えている。それに伴い、今まで売りに出していた物件の安売りを始めた。どうもこの地に於けるディベロッパー業からの撤退を余儀なくされた模様で、「ニフサンお前もか?」と言いたいところである。

この会社の物件は高すぎると思っていた。以前、この社の物件を友人が見に行くと言うので同伴したことがあったが、買いたいとは思わなかった。大きくディスカウントしてもまだ高いのである。手の込んだ造り、良い材料を使っていたとしても、高すぎれば買う人はいない。このゴールドコーストは年金生活者が多く、裕福な人は少ないのである。それにお金持ちなら、建売住宅は絶対買わない、すべて注文建築をするからである。

この国ではビラ(村)という形式の集合住宅風建築様式が増え、ニフサンはその豪華版を開発している。その区域全体を高いフェンスで囲い外界からは完全に遮断、車が出入り出来る大きなゲイトを設置、そこを通るには中の住人からスイッチで開けて貰う方式である。これは外からの不審者侵入を防ぐためだが、窃盗が多いこの国では、住人の中にドロボーがいたとしても不思議ではない。そのような盗難が度々起きている。それにボディコーポ(ガーデン等を管理する会社)の費用が高すぎる。それは販売会社が兼任する場合が多く、この費用は会社の言いなりで毎年上がっていく。それが嫌なら家を売って出て行けと言うことだが、家を売るとコミッションを取るのである。

私はパソコンやテレビのサービスで個人の家庭を訪問する機会が度々あったが、高級マンション等のセキュリティの厳しい住宅に行くのが非常に嫌だった。手間が掛かりすぎるのである。住人としてはその厳しいセキュリティシステムに満足して、他人との差別化に優越感とか誇りを持っているようだが、このような客からは倍額のサービス料を取っても良いとさえ思っている。実際は貰わなかったが。

俗に言われている100年に一度の世界的不況で一次産業が主のオーストラリアでも原料の輸出が減って、BHP等の大手資源企業の人員削減が相次いでいる。最大の輸出国だった中国も鉄鉱石をあまり買わなくなってしまった。政府はこの不況を乗り切るため銀行利子を下げており、近々また下げるそうで、昨年の今頃は8パーセント以上あったのに近い将来、その半分以下になりそうだ。ニフサンもこの国の将来の経済見通しに期待が持てなくなったようである。

日本では国会を通すのにやっきとなっている定額給付金だが、この国ではすでに支給された。受給者の対象は貧困生活者、国からの年金生活者、シングルマザー、シングルファーザーで子供の数に応じて追加される。一人頭千ドルで子供二人のシングルマザーだと3000ドルの支給金が受け取れる。日本の一人に付き12000円とは雲泥の差がある。

残念ながら、私はどちらにも該当しなかったので貰えなかったが、すでに支給から数ヶ月経っている。連邦政府は経済活性化を目的として支給したのだが、その経済効果は見られない。マーケットはその成果が如実に現れ、その動向を知る最も良い場所だと思うのだが、以前よりも悪くなっているのが現状である。

クレジットカードの支払いに当て、消えてしまったのか? 或いは他に理由があるのかも知れない。なんせそのお金をカジノで全て使い果たしてしまった人もいたと言う話も聞いている。ちなみにカジノで浪費することが経済活性化に繋がるのかどうかは分からない。

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2009年2月19日 (木)

180 オーストラリアでのビジネスセール

オーストラリアでは店舗のリースを付けたままビジネスを売ってしまうケースが多いが、買う方としても、先々良い商いをする為にはいろいろと注意をしなければならない。まず良い商売、儲かっていればビジネスは絶対手放さないのが原則である。引越しするとか、リタイヤするとか、病気の為とかを理由としている場合は要注意で、根本にはビジネス不振により嫌気がさして売却する場合が多い、たとえ売り手が儲かっていると言っても信用してはならない。

マーケットでうちの右隣のナッツ屋さん、今から3年前に転売、新オーナーに代わった。以前の持ち主は、売る前私に、売り上げが落ちてきた事を理由にいつも愚痴をこぼしていた。でも彼女は営業の悪さに関係なく高値(7万ドル)を付けて売り出した所、買い手が現れた。彼女がラッキーだったのか、買った人がアンラッキーだったのかは知らない、買う前、私の店に聞きに来ていればある程度の事、教えてあげたのにと思う。以前のオーナー、スイス人で中年女性だったが、金銭感覚には鋭い人だったので、売り上げをかなり過大に報告した可能性がある。物件を売る場合、誰でも良い事しか言わないのは普通だが、大嘘を付いて売る場合の方が多く、そのまま信用しては後々我が身に降りかかってくる、余程覚悟を決めて掛からないと大きな損害となる。なお帳簿は買い手には見せないのが原則だが、もし見せると言ったら要注意で、それは買い手に見せる為の代物と疑ってよい。

案の定、今のオーナー、売り上げが延びず、ビジネスを買ったことに後悔をしている様子である。今の不況では買値の半額でさえ売ることが難しくなってきている、まして売り上げで元を取り戻すことなんて99パーセント無理である。投資額の価値の低下と共に今後の労働力さえもすってしまったのである。

ただ買い手によっては自分ならばビジネスをうまくやれると思っている人が大半で、そういった人は買う物件に付いて近所にその店の営業成績等を聞き回る事はしない。しかしそれは他の商売をする場合のみで、同じビジネスの延長ならば、よほど力を入れ取り組むか、新商品の開発とか、やり方を変えない限り、前と同じか、その下降を止めることが出来ない。それはお客の流れ、社会の状況がそうなっているからで、昨今の景気動向も、さらに売り上げの低下に拍車をかけている。

ところがお金があって仕事のない人と言うのは、働き場所を得たさにあせっている場合が多く、細かいことに目が届かず衝動買いしてしまう。斜め向かいのウクライナ人、バッテリー交換等もやっている中国製安物時計屋店を、友人からびっくりする程の値段(14万ドル)でそのビジネスと在庫を買い、当時マーケットでも有名となった。しかし彼の場合、仕事を得たことに満足しているようで、出したお金には無頓着、今売り出せば半額でも買う人がいないのに愚痴一つこぼさない、大変気に入っている様子なのである。

ところで前の持ち主、スーパーで時々会うのだが、仕事がないことから、高値で店は売れたもののほとんど使い果たしてしまったと愚痴をこぼしていた。さてどちらが、現在ハッピーなのかは私にはわからない。

私のゴルフパートナーの彼もかつてサングラスショップを私の店の近くで持っていた。二年前、そのビジネスを高い値で売った。たぶん以前の買値の倍近く儲けたはずである。彼は商売上手で妻と息子の嫁と三人で店をやっていたが、忙しく商売をしている様子を見て、お客の一人がビジネスを買いたいと申し出た。これをチャンスとばかりに彼は言い値で売ったのである。ところが持ち主が代わり、ディスプレイを代えた途端、今までの客足がぐんと落ちてしまった。新オーナーとなっても引き続き働いていた彼の息子の嫁も暇になったので来なくなってしまった。「商いは人に付く」と言われるが、景気の動向にも原因はあるが、そのようなケースもある。

ところで前の持ち主の彼は息子の嫁が解雇されたこと、新オーナーになって商売が下降ぎみになったことに大不満で、マーケットにやって来ては愚痴をこぼし、そしてビジネスを売ってしまったことに後悔を始めた。ところが新オーナーは奥さんと二人で仕事をしていることに大満足で、商いの状況、将来幾らでビジネスを売れようともお構いなしと言ったところ、自分が営業不振を招いたことなんて一切気にしていないのである。

人間お金があってもやることのない人生程詰まらない事はない、人生お金だけでないという話だが、これも身体が元気であっての事で、なによりも健康が第一だ、しかしその次に欲するのは、ある程度責任の持てる働き場所、又は何か心に張りを持てる「やるべき事」が人には必要なのである。この気持ちが無くなったら、老いの領域に入ってしまったことになる。

今から一年近く前、ある日本人男性が私の店を訪ねて来た。「マーケット内で売りに出しているレストランがあって、買いたいと思っているがどう思うか?」と尋ねた。「このマーケットで食べ物商売はどの店も繁盛していると思う、但し出来るだけ安く手に入れる事、後々の為である」と答えた。マーケットは見に来るお客ばかりで買い物をする人は少ないが、たいてい昼は食べて帰る、どのレストランもはやっているように見えたからである。

街中でもそうだが、食べ物を作って売る商売は市当局からの許可(保険局)が必要でいろいろと設備に注文を付けられ費用がかさむ、すでに許可のある場所を買った方が手っ取り早いのである。特にマーケット内では事務所にも伺いを立て許可を得なければならず、今の食べ物店の数からして、新しいレストランを持つのはまず不可能だと言える。

彼はいくらで買ったのかは知らないが、訪ねるとすでに営業を始めていた。以前はタイとかインドネシア系レストランだったそうで、営業不振で売りに出した可能性が強い、同じような食べ物を売るようでは営業成績も前と同じ、要注意である。彼は私より少し年上だが元気はつらつとして若い感じがする。食べ物商売は常に立ちっぱなしの重労働で、私はもうやる気がしない。彼の両親は日本で割烹料理店を営んでいると誰かから聞いたことがあったが、それ以上は付き合いがないので知らない。

しばらくして訪ねるとレストランを売りたくなったのでマーケットのビジネス欄に広告を出したと言っていた。しばらくすると、レストランの裏側が道路に面しているから平日も営業出来るよう準備を進めているとも言う。彼はまだいろいろと迷っている様子であった。平日のレストラン営業は事務所、市当局から許可を取る事は非常に難しいだろう。「とにかくレストランを売るには営業成績を上げることが先決だ」と私は彼に言った。その後、彼には会っていないが、そのビジネスを買った目的は何だったのか、投資目的だったとしたら、時が悪い、昨今の不況でさらに厳しい環境に置かれることだけは確かである。

ビジネス売り買いに付いて、私の目の届くところではこのような状況である。これはマーケット内だけだが、街中のサーファーズパラダイスとなるともっと厳しい。日本のバブル期で得た大金を、この街で次々と店舗をオープン、ニュービジネスを展開させた。ところがどの店も営業が思わしくなく、その設備費、家賃、人件費にお金を使い果たし(噂では一億円以上)、とうとう日本に引き揚げた人もいる。手に入れたあぶく銭はこの国であぶくのように消えてしまったのである。オーストラリアでのビジネスは非常に難しいと言うのが現実である。

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2009年2月11日 (水)

179 店に来るお客さんたち

私がカラーラマーケットに店を出して10年目になる。日本では「石の上にも3年」(3年同じ仕事をすれば何とか芽が出る)と言われるが、この地では10年経ってやっとローカルの人々にも知られるようになった。「継続は力なり」と言えるのかどうかは分からない。

最初は小物アンティック類、オールドスタッフ品の販売店を目指していたのだが、好きな領域であるオーディオ機器ばかりを扱うようになった。それも古い品物は手に入れやすいことから、それらばかりを買い集め、棚には所狭と並んでいる。ところが、最近これらの品物に人気が出て、売れ始めたのである。

一昔前、プロロジックという装置付のオーディオアンプに人気があった。音声入力は2チャンネルだがスピーカーの出力端子が56チャンネルもあって、背後の音をロジックで遅らせることにより立体感を出し、おもにビデオ用としても使用していた。その後に来たのがDVDプレイヤーで、映像や音がデジタル化され複雑な設定、コントロールが出来ることから、音の出入力も別々の回路となった、いわゆるシアターサウンドが家庭でも再生出来るようになったのである。背後からの銃声、ヘリコプターが近付いてくる様子が音で聞けるようになった。でもこれには51(及び71)チャンネル用のDVDディスクが必要になってくる、又別々にスピーカーケーブルを設置しなければならない、その面倒くささから、今では一時ほどの人気がなくなってしまった。ドルビー社や各オーディオメーカーによる、流行り商業ペースに乗せられた感もある。銃声やヘリコプターの音など背後から聞く必要もなく、音は2チャンネルのステレオで十分なのである。それよりも大切なのは音質でチャンネル数が増えれば増えるほど音の質が落ちていた。

私は若い頃、大阪新歌舞伎座の舞台で働いたことがあった。美空ひばり、三波春夫、村田英雄、石原裕次郎等、数々の有名歌手のコンサートが開催された。照明の仕事をしていたが、楽団の後ろで仕事をしていて、どん帳が開いたのに気付かず、取り残されたことがあった。控室に帰るに帰れず、お客さんからは見えない位置、オーケストラの真後ろで、じっと待機した。

そのときのマイクを通さない生演奏のすばらしさに身体がしびれた。以来ステレオに興味を持ったが、いかなる高額な装置でもその再現は不可能だと知った。

以来40年以上経ち、電子機器すべてがデジタル化される世の中となった。コンピューター関連機器はアナログでは今のように小型化は不可能だが、我々人間はアナログの世界に住んでいる。音はアナログをデジタルに変換し、さらにアナログに変換して私たちの耳に入る、通過する回路が多くなるほど音質が低下し、生の音とはかけ離れて行く。近くテレビ放送も完全デジタル化されるが、そうなると両方の変換に2秒かかり、ずれて遅れが生じる、これでは地震速報には役にたたないと危惧されている。

40数年前、アンプはすべて真空管式であった。その後トランジスターが開発されオーディオ機器にもそれが使われ始めた。当時トランジスター製のアンプは音が良くないと言われ、各メーカーもかなり音質に力を入れ研究をした。しかし普及が進むにつれ、やがてその機器が一般的となった。

以前お客さんから40数年前の普及型真空管アンプのオーバーホールを頼まれた。終了後聞いてみたが、周波数特性の幅の広さと、そのクリアな音質に驚いた。やはり真空管式にはトランジスターにはない特性があった。当時、安物アンプでもこんなに良い音が出ていたのであった。

古い品物は修理とか掃除、オーバーホールが必要だが、それらを手入れするうちに、どのようなオーディオ機器でも修理が出来るようになった。同時に、お客さんからも頼まれ、今ではその仕事が大半となっている。それにつれ客筋も変わり、オーディオマニアが大勢来るようになった。彼らからの情報で、私のオーディオ機器に関する最新知識も一段とアップした。

お客さんの中には機器の使い方、その内容が分からず、聞きに来る人が増えた。もちろん無料だが、電子機器解説のよろず相談も引き受けるようになった。これがまた最新知識の吸収にも繋がっている。最近の電子機器量販店では使用説明が出来ない店員ばかりで、売りっぱなしがその原因である。誰かがユーザーをサポートしたり、ヘルプをしたりする必要が出てきたのである。

世の中に音楽の嫌いな人、興味のない人はいない、i-POTMP34の小型音楽プレイヤーが世に出回り、誰もがパソコン、モービルフォーン、他の電子機器でもキーボードとかメモリーボタンの操作に関わりを持たなくてはならない時代となった。そして常にニューテクノロジーにより新製品が開発され、関心を持たなければ付いて行けない時代となった。操作が複雑だからと敬遠してはいられない時代となってしまったのである。

私はオーストラリア最大のリゾート、サーファーズパラダイスで13年間日本レストランを経営した。当時の出来事の一部始終は過去の初期ブログ1から33に記してある。永住して間もない頃に商売を始め、珍道中の数々であった。

レストランがあったビルの取り壊しと同時に心機一転、53歳の時、TAFEカレッジ(職業訓練校)で延べ2年間に渡って学んだ。すべて初歩のコースだったが、役にも立たないと思っていたはずの電気、電子、ITコース等のサティフィケイト取得が私に強い自信を与えた。言葉の問題はもちろん、この国の人々に抱いていたコンプレックスを一掃させたのである。

又、この国の学校教育の現状、先生たちの教育姿勢を知り、訓練生の態度、性質を知った。そして彼らと共に机を並べ学んだと言うことは、この国の市民になったことを自覚させた。学習の年齢が過ぎても、受け入れてくれたこの国の教育制度にも感謝はするが、孫とも言える年代の人たちと共に勉強が出来たことに自信を深めた。短い期間ではあったが、住む国で教育を受けたことが、今後の人生の再出発に活力を生み出したのである。

舞台役者が観客に飲み込まれないよう芸をする為、手の平に人と言う字を書き、それを飲み込むしぐさをした、それに通じる心境であったかも知れない。

私の店に来るお客さんもいろいろだが、オーディオマニアの多くは買うために来るのではなく、しゃべるためにやって来る。しかし他の客が入って来ると、彼らは気をきかして退散してくれる。時には意見の相違から口論に発展する場合もあるが、彼らからは新しい情報を聞き出す場合が多く、時には修理を頼まれ、品物も買ってくれるから良いお客さんである。

一番困るのは苦情ばかり言う人で、このようなお客からは感謝の言葉は聞かれない、文句を言うことに生きがいを感じ、己の優位性を保ち、自尊心を維持しているのである。リピート客であっても有難くない人たちである。

オランダ系移民で私より少し上だが、以前彼のオープンリールテープデッキを修理したことがあった。動かなかった古いテープデッキを使用出来るようにした。忘れた頃になってそのデッキの苦情を言い出した。私は中古品を売る時とか修理した品物を手渡す時、目の前でテストをし、納得させて持ち帰ってもらう。不思議だなと思いながらも再点検することにした。

スピンドルがスリップしキャップステンローラーが回転していない。すぐにワッシャがないことに気が付いた。「ここにあったワッシャがなくなっている、このネジを外したのか?」「いや、一切触っていない」という。「店にパーツはない、持ち帰り修理する」と言って、家に帰り調べてみると、そのワッシャがパネルの下に落ちていた。

次週、彼が取りに来たので、「ワッシャはここに落ちていた。それはどう言う意味なのか?」「知らない。触っていない」と彼は相変わらず突っぱねた。「貴方は嘘つきだ。今後貴方の品物の修理は一切しない、品物も売らない」と言ってやった。

人を使っていたら、こんなことは言えないだろう。言葉を駆使し、お客さんからお金を引き出すのがビジネスである。しかし私はこの仕事を生活の一部として楽しんでいる。通常の商売のやり方とは違うのである。

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